いわゆるバンギャとギャ男の一番の違いは、究極には麺との同一化ができるかできないか。バンギャさんはいくらがんばっても麺にはなれない。ギャ男さんはがんばれば麺(orぽいもの)になれる(バンドやっているかどうかに関わらず)。そこに両者の言葉にならない断絶がある。
そこら辺を、理解できるようになるのが大抵21歳~24歳くらいで、性的なものや人間関係が成熟してきて大抵のバンギャルさんは落としどころを自分で見つ けて、上がる。上がらないとオバンギャ乙とか言われちゃう。90年代とか絶頂期を経験している人は考え方の根本に根付いちゃっているからちょっとまた違う のかもしれないけれども。
バンギャルさんやっているうちに色んなものがルーティン化されて、特に経済力とかついてくると、麺や麺じゃない男性(つまり男性全部)との(物理的or精 神的)距離が飛躍的に縮む。そこで今まで目をつぶってきたこととか、見なかったことにしていたことに気が付いて、上がる。というような。
ただ、上がったとか上がらないというような宣言を皆がしなきゃいけないわけでもないし上がったからどうしなきゃいけなとかそういうものもないので(当たり 前だが)、ずるずるとそういう耳と目で世界を聞き続けるし見続けることになる人もいるし。ずっと上がらないっていう人も中にはもちろんたくさんいる。
そして、ずっと上がらない人その本人やその周りの人はその言葉にならない痛さを抱えて生きることになる。ネット上でいう毒女が「自分は独りでも平気だし」と言って生きているような切なさがそこにはある。
いくら本人が否定しようとしても、「女」が、ステージ上の「異性」を見ているのは事実であって、いくら開き直ろうとも、バンギャ=「女」、ギャ男=「男」であることからは逃れられない。
70歳になっても80歳になってもV系が好きというような層は、今のところほぼ100%存在しないはずになっているので、上がる、上がらないっていうよう な問題は一般論的に語るのが難しい側面がある。ただ「バンギャ」=痛いって等式がなぜ成り立つかというと、上がる人と同等数新規参入の人が常に流入してい るからだと思う。
「純粋に音楽が好きだ」ということを言う人もいるが、大抵嘘か勘違い。女性だけで構成されるようなV系のバンドが(事実いるけれども)多くの人に対して売 れないし需要がないし魅力を感じないのは、V系において「(男性)性」が重要な概念であるから。一部の人は男役、女役って設定で擬似恋愛をしたりして、逃 避する。
V系は男性が化粧をし、長髪で、痩せていて、女性的な容貌をしているといった風に、「女性性」が強調されて語られがちだけれども、実は違って、意外と欠け た「男性性」、抑圧された「男性性」が本質的な魅力だったりするように思う。女性性を求めているのならば、女性が演奏すればいいという。
「男なのにこんなに○○!」という感情がとても重い。大抵の人が25歳くらいまでに男性をちゃんと見られるようになって、もっというと父への気持ちという ようなものが成熟する。下手にキャバ嬢的ないわゆるV系のモテ系の顔が美人な人とか、逆に開き直りすぎちゃって誰からも相手にされない人とかは悲惨。
・・で、っていう
続くかも(?)
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