一日三食について少し考えたので、
後日何か書くかもしれません。
自分がやりたいようにやればいいと基本的に思うという気持ちは
何も変わりないと思うのですが。
好きなときに好きなものを好きなだけ食べればいいんじゃないでしょうか。(←これでいつもFA)
一日三食の善悪、根拠、是非などがネット上で問われるときってどういうときかと考えてみたのですが、大抵、基本的に一日三食ばっちり食べて健康的な人が、 何か脅迫的に「食べたくない人」に「一日三食ちゃんと食えよ」って迫っているときなんですね。そういうのに息苦しさや生き辛さを感じている人が、ふと疑問 に思うわけです、当たり前に一日三食が正しいみたいに言ってくる人が多いけれども「一日三食の根拠は?」「人間って一日三食じゃないといけないの?」「他 の動物は?」「一日三食って言い始めたのってエジソンが自分が発明したトースターを売りたかったかららしいけれども」って。
大抵、一日三食かそれ以上食べているような人間、
胃袋がいくつあっても足りないとか言う人間、
食欲がなくなるとか滅多なことがない限りない人間、
一日三食が当たり前で何一つ疑いの気持ちなど抱かない人間、などなどは、
朝、なんとなく食欲がなくて朝食を食べたくない人間、
一食がかなり豊かなのに一日三食は一日の総摂取カロリーとして多すぎるだろJKとか冷静に考える人間、
今日は、めんどくさいから夕食抜きで寝ちゃおうとか思う人間、
などなどの気持ちを理解できないし理解しようともしない傾向にあるので、
両者わかりあえないんですね。
何が言いたいかというと、
一日三食食べなくてはいけないという気持ちは、
自分の中だけにそっとしまっておけばいいと思うのですね。
一日三食食べない人間は○○だとか、うんざりするんです。
「栄養学的に略(キリッ)」
「血糖値が略(キリッ)」
「スポーツ選手は略(キリッ)」
「統計的に見て略(キリッ)」
「朝食を食べない人と食べる人を比べた結果略(キリッ)」
ただでさえ食欲がないのにそんなこと真面目に言われるから、
もっと食欲なくなるんです。(少なくともボクは)
ハッキリ簡単に言うと、
「お前がそんなこと言うから
ただでさえない食欲がもっとなくなるんです」
「お前がそんなこと言うから、ただでさえない食欲がもっとなくなるんです」(たいせつなことなので2かいいった)
少なくともお願いだからスポーツ選手とボクを比べないでみたいな
ごめんボクスポーツ選手じゃないからみたいな。
そもそも、「一日三食」か「否か」っていう分類の仕方が、物事の理解を単純化しすぎていて、少なくともボクは受け付けません。ボクは一日一食が長く続いて いますが、一日三食食べる日もまったくないことはないし、二食の日ももちろんあるし、コーヒーやお菓子は食事と関係なくほぼ毎日いただくし・・・。そうい うボクは一日三食の人?それとも違う人?平日は一日二食だけれども、土日は三食食べる人は「一日三食」?なんで、(人の気持ちや)多様な食事のあり方を受 け入れようとか思わないのか、とても不思議に思います。(そりゃ栄養学的に、科学的に何が正しいとか正しくないとかいう主張は大いにあっていいと思うので すが)
考えるに実際に「一日三食」(意識しているしろ意識しないでいるにせよ)食べる人間の思考方法と、「一日三食か否か」という単純化の親和性が高いんだと思います。何が言いたいかわからないですって?一日三食=善だとか人に押し付ける人間は死ねってことです。
一日三食がベストなのか。 - 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3062620.html
トーマス・エジソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3 PR